Historyカシケイの歴史

誠実にひたむきに。“最高の素材を求めて”

  • Story.1その歴史は1928年
    「柏圭商店」から

    呉服や小間物など女性を美しく引き立てるものを取り揃えていた柏圭商店から歴史は始まりました。宝石の小売から卸業へと形態を変え、1961年に宝石の輸入自由化が施行されたのちには1970年に株式会社化。日本のダイヤモンドビジネス黎明期より携わることとなります。

  • Story.2世界各地に駐在員事務所を設置
    日本を代表する
    ダイヤモンド輸入企業へ

    「優れた商品を適正な価格で顧客に提供することが企業の務め」という考えのもと、カシケイは業界の中でもいち早くベルギーやインドなどダイヤモンドマーケット主要国へ駐在員事務所を設置。現地のサプライヤーと信頼を築くとともに最新の情報を国内の業界に還元するなど、その発展にも寄与しました。

  • Story.3日本におけるダイヤモンドビジネスの
    礎を築いたひとり
    二代目社長・加藤英髙

    ダイヤモンドの取引は契約書が存在しない特殊な世界。信頼に値する人物か、ビジネスセンス、豊富な商品知識を持ち合わせているか、その人自身を厳しく見極められるのです。独自のルールを持つ世界で、加藤英髙は「対等に人として認められた唯一の日本人」とも呼ばれました。
    業界の発展に寄与したとし、日本、海外からも広く認められ、ベルギー王国アントワープ市やイスラエル政府、タイ政府より勲章や表彰を授与。日本国政府からは藍綬褒章、旭日双光章を授与されています。
    さらにダイヤモンドビジネスの世界で日本の地位向上を高めるため、TOKYO DIAMOND EXCHANGEを設立し、世界ダイヤモンド取引所連盟(WFDB)の会員になる際の中心的人物として活躍しました。

  • Story.4素材へのあくなき探求心が導いた
    ジュエリーへの深いこだわり

    カシケイの素材へのあくなき探求は、やがてジュエリーへの深いこだわりに繋がっていきました。
    1980年にはブランド<ベルエクラ>を発表。これまでの豊かな経験値と情熱を注ぎ込んだコレクションを発表し、テレビCMを始めとした大々的なPR活動も展開しました。
    1984年にはドイツを代表する〈ニーシング〉の日本輸入総代理店として取り扱いを開始。卓越したクオリティと職人的技術により生み出されるコンテンポラリーなデザインの数々を日本市場に浸透させました。
    2003年には<カシケイブラウンダイヤモンド>がデビュー。カラーレスダイヤモンドが至上とされていた当時、全く新しい価値観を提示。世界で唯一のブラウンダイヤモンドのみのジュエリーブランドとして走り続けています。
    2015年には<トモコ コデラ>のデザイナー小寺智子がHRD AWARDS 2015にて日本人初のグランプリ受賞という快挙を成し遂げました。2019年には国内最高峰とされるJJAジュエリーデザインアワードにて日本ジュエリー大賞・内閣総理大臣賞・技術賞受賞も獲得。独自のクリエイションと繊細な感性が世界でも驚きをもって受け入れられています。

    ただひたむきに素材へ、そしてジュエリーへ向き合い続けるカシケイ。「上質なもの、本当に良いものをお客様へ届けたい」その想いとともにジュエリーの可能性に挑戦し続けます。

  • Story.5デビアス社との
    固いパートナーシップ

    「ダイヤモンドは永遠の輝き」20世紀で最も偉大なスローガンといわれるキャッチコピーを世に送り出した世界的なダイヤモンド企業、デビアスグループ。130年もの歴史を持つグローバルカンパニーとカシケイは二代目社長・加藤英髙が、デビアスが日本進出する以前から歴代デビアス会長らと交流を重ね、日本を代表するダイヤモンドディーラーとして独自の関係を築いてきました。
    デビアスの日本進出後はデビアスが展開する「スイート10ダイヤモンド」「ダイヤモンドライン」「トリロジー」といった数多くのキャンペーンに参加し、ジュエリーの製作技術や品質の高さ及び日本国内での営業力が認められました。
    また2003年から展開したカシケイブラウンダイヤモンドは、新たなマーケットの創造に成功し、その姿勢と実績もデビアスから高く評価されました。
    2009年の<フォーエバーマーク>デビューでは当初からメーカーとして参画し、カシケイのダイヤモンドやブランディングに対する考え方、製品の製造における厚い信頼を育み、2021年11月にはデビアスとカシケイの合弁会社設立という、新たな歴史の一歩を踏み出しています。

    二代目社長・加藤英髙(左)と
    デビアス会長・ニッキー・オッペンハイマー氏